想い出のむこうがわ



その瞬間、何かが動いたことを覚えている。
それが何かはわからなかったけど、自分の中に響く大きな音を確かに聞いた。
動いたのは、多分 頑なだった気持ち。
その音色までは思い出せなくても、心が震えた思いは忘れない。





「 え?いただいていいんですか? 」


思いがけない夜蘭の言葉につい大きな声が出て、苺鈴はハッと口を押さえた。
母が少し顔を曇らせているのが見える。もう少しお行儀よくしなければ。


「 ええ。大切にしてくれるのなら、その子も喜ぶでしょう。
 かわいがってあげるのですよ。 」

「 はい!ありがとうございます!! 」


渡された黄金の鳥篭を抱きしめるようにして、苺鈴は思いきりお辞儀をした。
その瞬間、住みかが揺らいだ事に驚いた小鳥がバサバサと抗議の羽音を立てた。
舞い落ちた羽根さえも美しく、苺鈴は宝物を手に入れたような気持ちだった。

いつもは少し堅苦しいような気持ちになるお茶の会も、
夜蘭からの土産のお陰でまったく苦にならなかった。

一通りの話が済んでしまうや否や、苺鈴はすぐに自室に引き返した。
今日はにぎやかな従姉達と遊ぶよりも、小鳥を眺めていたかったのだ。
かわいらしい鳴き声もさることながら、その姿形の美しさは見ているだけで胸が高鳴った。

特にこの羽根の色合いはどうだろう。
淡い檸檬からやわらかな翡翠の色を経て、抜けるような空の青へと変化する羽根は
今は綺麗に畳まれていて、少し残念な気がした。
じっと見つめているとそれはまるで絵のようで、生きて動いているのが不思議にすら思える。


さわってみたいな。


くるくると動くつぶらな瞳を、夢のような羽根を、もっと間近で見てみたい。
この手にのせてお話したら、どんな歌を歌ってくれるのだろう。
自分の指に小鳥をとめて話し掛ける絵を想像してみた。きっと素敵にちがいない。
当の小鳥はまるで苺鈴を待っているかのように、大人しく小首をかしげていた。
そっと鳥篭に指をかけ、静かに入り口を引き上げていく。
恐る恐る指を入れようとしたその瞬間、美しい羽根が大きく開かれ
小鳥は勢いよく羽ばたきを始めた。


だめっ…!


一瞬 遅かった。
鳥篭の入り口が下りたのは、主が逃げ出した後だった。
あっと思ったときにはもう、小鳥は開け放たれた部屋からも飛び出していた。

一体何がどうしたのか、あまりにめまぐるしい展開に苺鈴は呆然としてしまった。
外は重く黒い雲が立ち込めていて、それを見た途端、不安と悲しみと後悔で
ぐちゃぐちゃな気持ちが一気に押し寄せてきた。
胸が苦しくて、どうしたらいいのか判らない。

せっかく おばさまにいただいたのに。
まだ名前もつけていなかったのに。
ただ近づいて遊びたかっただけなのに。
自分への言い訳と後悔の言葉がないまぜになり、涙になって溢れてきた。


「 苺鈴さま? どうなさいました? 」


 優しい呼びかけに顔を上げると、中庭に夜蘭の執事・偉の姿が見えた。


「 鳥さん、逃げちゃったの…。おばさまに…いただいたのに。大好きだったのに…。 」


しゃくりあげながらもどうにか事情を話した時、苺鈴は顔が強張るのを感じた。
偉の後ろに小狼の姿を見つけたのだ。

名門・李家の跡取にして苺鈴の従兄弟。
いつも難しい顔をしている男の子。
生真面目で、勉強熱心で、一緒に遊んだ事はおろか必要以外の言葉を交わした覚えもなかった。

そんな小狼に、自分の失敗を知られてしまうなんて。
きっとおばさまに言いつけられて、ひどく叱られてしまうのだろう。


どうしよう…。


すっと目の前に小狼が立つ気配を感じて、苺鈴はきつく目を閉じた。


怒られる…!


肩をすくめた次の瞬間、苺鈴は自分の耳を疑った。


「 泣くな。」


驚いて顔を上げると、目の前にハンカチが差し出されている。
真剣な顔はいつものまま、ぶっきらぼうなまでに真っ直ぐに突き出された小狼の手。
微動だにしないその手がどこか暖かに思えて、苺鈴は素直にハンカチを受け取った。
次に見上げたとき、小狼は背中を向けていた。


「 小狼さま、どちらへ? 」

「 探してくる! 」


偉の問いかけに答えた小狼は、もう次の庭への門を潜り抜けていた。

思いがけないやさしさの不意打ちに苺鈴は混乱していた。
今まではどことなく苦手にすら思っていたのだ。
彼はにぎやかな姉たちとはあまりにも違っていたし、一緒にいてもつまらないと頭から決め付けていた。

それなのに。

小狼が同じように困っていたら、自分は助けてあげることが出来ただろうか?
従兄弟が消えた門をじっと見つめながら、苺鈴は一生懸命考えていた。
空はますます暗さを強め、今にも泣き出しそうだ。


小狼が戻ってきたら、謝らなくちゃ。
鳥さんが見つかっても、見つからなくても。


ポツ、ポツリ。

ひとつふたつと雨粒の落ちる音がして、やがてそれは数えきれなくなった。
小狼はまだ戻ってこない。この雨の中、一体どうしているのだろう。


「 小狼…。 」

「 大丈夫ですよ。きっと小狼さまは鳥を探して帰っていらっしゃいます。 」


苺鈴の心配をほぐす様に、偉がそっと声を掛けた。
雨に煙る庭は、人の存在を拒絶しているかのように冷たく見える。
規則正しい雨音の中に、微かに違うリズムが聞こえたのはその時だった。
目を凝らすと、冷たいカーテンの隙間から駆けてくる人影が見えた。

思わず苺鈴も飛び出していた。
自分が濡れることなど考えもしなかった。
ずぶ濡れになって肩で息をする小狼と顔を合わせた時、
それまで考えていた言葉はすべてどこかへ消えてしまった。

ピュルル。

合わせられた小狼の手のひらから、小さな囀りが聞こえる。
驚いている苺鈴に小狼はそっと手を開いて見せた。
顔を覗かせたのは見覚えのある瞳。
濡れて少し濃くなった色合いの翼も、すべてがそのままの苺鈴の宝物だった。


「 この、鳥だろ? 」


小狼の短い言葉に胸が詰まった。
冷たい雨の中、ずっと小鳥を探しつづけてくれた。
寒くて大変だっただろうに、そんな言葉は一言もない。


もっと怒ったり、責めたりしてもいいのに…
どうして?どうして何も言わないの?


耳元で、胸の奥がじわりとにじむ音が聞こえた。心の中から何かが溢れ出す。
目頭が熱くなって、気がつくと小狼の首にしがみついて大きな声で泣いていた。

その後のことはあまり覚えていない。
小狼が困ったように何かを言っていたようだ。
きっと顔を曇らせながら、やさしく小鳥を庇っているのだろう。
冷えきった庭で泣きながらも、苺鈴の心は暖かいものでいっぱいだった。


想い出の波が引いても、なお残っている風景がある。
小さな翼ともうひとつ、心に宝石を見つけた瞬間の甘い思い。
それはやわらかな気持ちが生まれた日の物語。
記憶の奥の遥かむこうがわ、やさしさの姿が見えたことを今も鮮やかに覚えている。




fin.


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はじめて書いた 二次創作;
某所さまの「小狼の日常」募集に奮起して;

大昔の品物すぎて、恥ずかしいっす;







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